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カミングアウト、する、しない? カミングアウトについて考える

カミングアウト、する、しない? カミングアウトについて考える異性婚が常識とされてきた人類の歩みの中で、LGBTであることをカミングアウトすることは本当に難しい問題として常々立ちはだかってきました。誰が誰を好きになろうと本来自由。そもそもそんなこと、いちいち問い詰められるのもおかしな話なのではありますが、人々は性的マイノリティーを目の当たりにすると、途端に好奇な目を向けたり、差別的な発言をしたり、酷い場合、徹底的に排除しようとする動きをも見せてしまいます。
確かに、隠すことで何ら問題が生じなければ、それはそれでハッピーなことなのかもしれません。しかし、実生活の中で完全にその問題をシャットアウトし、完璧に回避することは難しく、曖昧な空気感が余計な憶測を呼び、その部分を明白にしようと負のサイクルを生んでしまいます。結果、LGBTの方は一般社会に馴染めず、次第に殻にこもり、小さなコミュニティーへと追いやられてしまう現実がほとんどでした。

隠し事をして生きることの辛さ・・・。
それは当事者にしか分からない苦しみです。
しかも、隠す必要もない問題を、隠さなければ生きにくいという社会。
カミングアウトをするかしないかは、こういった社会の矛盾によってもたらされているのです。

更に、人間は本能的に"承認欲求"というものも多かれ少なかれ持っています。誰かに認めてもらいたい、分かって欲しい、分かち合いたいという気持ちは、押えがたい生理現象として捉えなければならないのです。

近年、巷でよく耳にする「カミングアウト」。
LGBTの方にとってカミングアウトとは、本当に悩ましく勇気のいることですから、そこに至るまでの様々なプロセスからまず理解を深める必要があります。

「カミングアウト」までに乗り越えなければならない3つの壁

カミングアウトに至るまでの経緯として、大まかに3つの壁があると考えます。この大きな壁は大変心の負担となっており、全てを打破するのは非常に困難を極めます。もちろん、生まれた時代、場所、家庭環境、性格等でそのハードルの高さに差があるのも現実ですが、通常日本に生まれ、日本で育った場合、以下の心の壁を乗り越える必要があります。

①自分自身LGBTであることを受けとめる

幼少期のうちは、あまり性別というものを意識することなく過ごすことが出来ますので、"人と違う"と感じる機会も少なければ、そこに深く疑問を感じることもありません。ただ、思春期を迎える頃、これは心に大きな負担としてのしかかり、周りと違うこととの葛藤に苦しみ始めます。自分自身、LGBTであることを受け入れる作業は、まだまだ成長未熟な段階において、とてもデリケートであり、傷つきやすく、その後の人生をも大きく左右してしまうほどの影響が考えられます。

②友人・そして親に認めてもらう

「自分はLGBTである」と受け止めたら、次に立ちはだかる壁は友人や親へのカミングアウト。日本では性的マイノリティーを“恥”だと思い“病気”だと解釈する親世代も多く、友人はともかく、一番身近な親へのカミングアウトをとてもためらうケースがよく見られます。最近は、LGBTのタレントさんの活躍によって、随分と考え方も開けてきています。とはいえ、我が子がこういった性的マイノリティーに属すると知った瞬間、やはり心中穏やかではないのが現状です。
それは、我が子を思うが故、自然発生的に湧きおこる感情。
一昔前までは、世間体と言うものを気にして親子の間に溝が出来たりしたものですが、現在ではむしろ、将来結婚も出来ず一人ぼっちで過ごすのではないか、孫の顔を見ることも出来ないのか、就職に苦労して食べて行くのも大変になるのではないかというような、子供を思うその気持ちから、悩む親御さんが増えてきているといったところです。
親がしっかりと我が子の全てを受け止める所から、LGBTの尊厳は守られます。カミングアウトしやすい親子関係を持っているか否かはとても大切なことになります。

③社会に認めてもらう

正々堂々と生きること、自信を持って行動すること、そして人生の喜びを味わうこと。一人一人が満たされなければ、良い社会は実現出来ません。
社会的マイノリティーに対して、どう社会が受け入れて行くか、どう接して行くかはこれからの大きな課題です。経済的強者はともかく、一般の人にとってカミングアウトはかなりのリスクを伴うのがまだまだ現状。世界各地で湧きおこるこのLGBTのイベントやパレードというものは、単なるメッセージとしてではなく、押し込められてきた人々の心の解放を願うムーブメントとして、理解を示していかなければなりません。
より良い生活のためには具体的な法整備をも必要とします。大胆な改革と同時に、細やかな配慮といったものを意識しながら、社会全体が足並みをそろえて行く時代になっていくことを期待せずにはいられません。日本では時間がかかるかもしれませんが、確実に前進していること事実です。